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第1部 |
講演(13時30分−14時30分) |
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第1講 |
国土交通省総合政策局国際観光課
篠原康弘課長
「なぜ、今観光なのか〜ビジット・ジャパン・キャンペーンにおける地方連携の取組み〜」
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はじめに、安倍総理が出演しているビジット・ジャパンの宣伝ビデオ「ようこそ!美しい国 日本へ」を1分ほどご覧いただきたい。(ビデオ投影)
ご覧になって分かるように、観光に対する機運が今ほど高まっているときはない。全国での取り組み、海外からの目をご紹介したい。
わが国の国際観光がアンバランスなのは、ご承知の通り。2006年の日本人海外旅行者は1800万人に対し、訪日外国人旅行者は733万人である。
観光による経済波及効果を見てみると、2005年度は国内旅行消費額が24.4兆円となっている。この波及効果を分類すると生産波及効果が55.3兆円。付加価値効果は29.7兆円で、GDPの5.9パーセントを占める。雇用効果は469万人で国内就業者数の7.4パーセントに当たる。税収効果は5兆円である。これで分かるように観光の経済波及効果は大きい。
訪日外国人旅行者が2006年に733万人と言ったが、ビジット・ジャパン・キャンペーンが始まった2003年は521万人だった。毎年順調に伸び、06年度は前年比9.0パーセントの伸びである。
国・地域別訪日外国人旅行者の割合を見ると、韓国がトップで初の200万人超えの212万人、ついで台湾131万人。中国は81万人で、米国の82万人のほうが多いのだが、追い抜くのは目に見えている。香港が36万人などとなっている。
ビジット・ジャパン・キャンペーンでは、2010年に訪日外国人旅行者数1000万人達成を目指しているが、今後、年平均8.1パーセント増が必要となる。毎年、毎年が勝負となるということだ。1000万人が達成できれば生産波及効果は5.9兆円となる。
そこで、ビジット・ジャパン・キャンペーンの高度化のために必要なことは、先ほどの安倍総理のようなトップセールスの実施のほか、海外の旅行会社の招聘による訪日旅行商品の造成支援、海外メディアの招聘によるわが国の観光魅力の広報宣伝活動などが挙げられる。つまり、いかに海外の旅行会社・メディアと組んでやるかということが重要なポイントとなる。
目標達成に向けたポイントとして「観光交流年」というものをご紹介しておきたい。2007年は日印、日タイ、日加観光交流年であり、日中文化・スポーツ交流年である。この中でもインドは経済発展が著しく、今後観光客の伸びが期待できる。
一方、今年は朝鮮通信使が始まって400周年であり、日中国交正常化35周年である。中国とは2万人を超える交流団を派遣するなど大規模な交流事業が計画されている。
これは直行便がある19都市に1000人ずつを派遣するもので、中国側からも同程度の規模の交流団がやはり国内に直行便を持つ17都市に派遣される。富山県でもこれから具体的な動きになるだろう。
中国、韓国のほか台湾も重要な地域だ。立山黒部アルペンルートにも台湾から多くの観光客が訪れているが、さらに利便性を高める法整備がされる。それは台湾の運転免許を持っていればわが国での運転が出来るようになることだ。強い要望があったのに基づいて調査した結果、台湾の運転免許制度がわが国と同等の水準にあると認められたもので、早ければ今秋、遅くとも年内には実施されるだろう。
富山県におけるビジット・ジャパン・キャンペーンの地方連携事業では、台湾、韓国をターゲットに現地への広告掲載などで立山黒部アルペンルートの誘客を行っている。入込み客数は台湾が7万5216人、韓国が13644人となっている。ほかに富山市、南砺市、飛騨市が連携してゴルフ・自然・伝統文化を活用した飛越の旅の造成事業を行っている。
昨年12月に観光立国推進基本法が成立、今年1月から施行された。これから関係団体、地方からの意見聴取のあと、5−6月ごろには観光立国推進戦略会議、閣僚会議を経て基本計画が決定されることになっている。
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第2講 |
富山国際職藝学院 上野幸夫教授
「富山の眠れる観光資源 外国人の見たTOYAMA」
「とやま」3大歴史文化遺産の本物の魅力
〜五箇山・菅沼合掌集落、近世高岡文化遺産群、立山黒部〜 |
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瑞龍寺の復元のために富山に来た。それまで学会でも「北陸には優れた建築物はない」と思われていたのだが、すごいものがあるので驚いた。そこで、瑞龍寺復元をやりながら明治以降の建物も調べるようになり、たくさんの素晴らしいものがあることが分かった。
それを言うと富山の人は「な〜ん」と否定する。こうして謙遜しながら開発行為が進められてきたのである。
しかし、ライトレールの整備を機に、岩瀬の立派な町並みを取り戻そうとする動きが出るなど、ようやく地域に根差した文化財を大切にする風潮が生まれてきたので喜んでいる。
私が富山で驚いたように、幕末から明治にかけて来日した外国人は日本の素晴らしい文化に驚いている。日本人が気付かなかったことを見抜いたのだ。エドワード・モースという人は大森貝塚で有名だが、実は日本の建築の素晴らしさに驚いて本を書いている。
それまでモースも、「日本は塗装もしない白木の家に住んで」いて、南方と同じレベルと思っていた。しかし、実際に来てみると、日本の建築は芸術的、文化的に高度で、さらに都会だけではなく日本中、どこに行っても文化のレベルが高かったのである。これは大きな意味を持っている。
だが、日本人は高度成長で高層ビルを建てるのが最先端と思い込み、先人たちの文化を忘れたのである。
合掌集落が世界遺産に登録される前、ユネスコの人たちを案内したことがある。そのときに、彼らは高度成長以後に造られた町並みには見向きもしない。時には「汚い」とさえ言った。当初、指定は白川郷だけの予定だったが、合掌造りの家が不自然な並びをしていて、観光用に整備されたことが一目で分かったのだろう。そこで五箇山の相倉と菅沼合掌集落が加わったのである。
私は外国から来た人を案内する場合、一日コースなら、まず内山邸。それから高岡の金屋町へ連れて行く。そうすると、「素晴らしい」と言って、シャッターを切り続ける。土蔵の町並みでは室内も見てもらう。すると、工夫された空間に驚き、異文化への感動があるようだ。そのあとに瑞龍寺を見てもらう。中に入るにしたがって開けてくる建築美には、感動を呼ぶ演出がある。それはある意味、「おもてなしの心」と言っていい。
井波の彫刻では100本以上の鑿(のみ)を使っていることに感動し、そのあと裏手の閑乗寺山から散居村を見てもらう。田んぼに水が張ってあるときは屋敷林を持つ家々が島のように見え、刈り取りの時には黄金色の中に緑の島が浮かぶ。日本の原風景である。
さらに井波から城端へ。町並みを見てもらったあと曳山会館へ行く。これは動く工芸品であり、これを造れるだけの伝統技術があるということを証明している。高岡の御車山を代表に富山県にはこうした曳山文化が数多くある。
ついで五箇山へ。相倉、菅沼の合掌集落とも、まずは高いところから見てもらう。昔ながらの道から降りてもらい、林の中から視界が広がるという演出である。一挙に見せるのではなく、小出しにする。その流れが大事なのだ。
立山黒部も世界遺産を目指しているが、こちらは自然遺産としてだけでなく歴史遺産としても価値がある。前立社壇と言われる岩峅の雄山神社、さらに芦峅の宿坊。かつては全国から参詣者が集まりにぎわった。そうした町並みを復活させ、いろいろな知識を得てから登拝するのもいい。
一方、富山県は海沿いに素晴らしい建物が多い。氷見市には巨大な家がある。明治以降の網元の家で10軒ぐらいある。何の指定も受けていないため、観光用に開放しているわけではないが、これは宝物だ。海岸には網蔵、船小屋が残っている。それらをうまく活用すれば、氷見に来たのだなと実感できるものになるだろう。
北前船で栄えた伏木、新湊、滑川、生地などにも古い町並みが残っている。これは大変素晴らしい。朝日町の境も海からの強風を避けるための独特な町並みを形成している。
高度成長で日本の町並みは変わった。当時は、「よかれと思って」やったことだが、外観をサッシやトタン、鉄板など新建材で覆い尽くした。本来のよさが半分になったと言っていい。これらを外すと、素晴らしい町並みになるのは言うまでもない。県内各地に残っている、こうした「原石」を磨くべきだ。
原石はたくさんある。散居村にしても砺波が有名だが、私が住んでいる富山市の月岡でも、そそり立つ立山連峰をバックに、多くの家が散居のスタイルとなっている。さらに、道端で地蔵などが納められている祠(ほこら)も、すごい。富山県はナンバーワンだろう。灰小屋や石垣も優れている。こうした「自分たちの町の宝はすごいものだ」という意識が重要だ。全国にPRしていってほしい。
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