藤子・F・不二雄ふるさとロードMAP


まちを歩いて、わたしたちのまち「たかおか」を再発見しよう!
 
 

「藤子・F・不二雄さんふるさとロード」で秘密を探る。
ゆかりの高岡を巡ることで、漫画の中の風景(ドラえもんに出てくる土管のある空き地や裏山が印象的)を見れば、彼らの幼少時代の日々がどんなに秘密や冒険にあふれ、わくわくしたものであったかをうかがい知ることができる。
時空を超え夢とロマンを多くの人々に与え続けるメッセージはどこから生まれてくるのか、まち巡りで探ってみよう。
風薫る緑水が美しい、高岡が全国的に誇る二つの場所に藤子・F・不二雄さんの代表的作品「ドラえもん」が設置されている。
一つは古城公園、二つ目におとぎの森公園である。



その名のとおり、藤子・F・不二雄先生のドラえもんとその仲間たちがいる公園です。滑り台まで続く散歩道には、ドラえもんを先頭におなじみの仲間たちが楽しげに遊んでいます。特にアクロバティックなスネオは必見(!?)散歩道のどこかには、F先生が子供たちにあてたメッセージを記した石碑もあります。

 

 私が、ここ高岡市で生まれたのは、昭和8年のことです。
このふるさとの自然の中で学びながら、私の体と心は育ちました。
 時代とともに変わっていく高岡、その中に生まれたこの公園が、昔も今も変わらない子供たちのオアシスとして、いつまでも子供たちの夢と創造性を育む場であってほしいと願います。
                          藤子・F・不二雄
   
 

通う高校がとなりどうしだった二人は、授業が終わると待ちあわせ、毎日のように古城公園で漫画のアイデアや将来の夢を語り合いました。そして夕方近くにたいこ橋を渡り、大仏様の横を通って帰るのです。漫画家を目指して上京する時、A先生は大仏さまに向かって「よろしく」と拝んだのだそうです。

   
 

平成12年に山町筋は高岡市町筋重要伝統的建物物群保存地区に指定されました。城下町にかけて旧北陸道に沿って形成され、高岡の中心地として栄えていました。
デビュー前、藤子両先生は、まんが雑誌に数多くの作品を投稿しました。原稿は第5種郵便物として扱われ、その種類が珍しかったこともあり、局員から励ましの声をかけられたりもしたそうです。現在、庁舎は山町筋の町並みにあわせ、土蔵づくりを模した外壁に設計され、高岡ならではの景観に配慮した建物になっています。

   
 

藤子両先生が通った文苑堂書店や今は姿を消してしまった高岡劇場・高岡文化劇場などの映画館がありました。当時、文苑堂のご主人は先生たちが買いに来る本を取り置きしてくれていたそうです。  また、和菓子の大杉堂の「おやき」は、藤子不二雄A氏の大好物で、塩谷昆布店(大仏前)の「たばこ昆布」などとともに、ふるさと高岡の味であると語られています。

   
   藤子作品には、土管のある空き地の風景がよく登場しますが、藤子・F・不二雄先生の住居のあったすぐ近くには、材木置場や空き地があり、この幼い頃の遊び場が先生の作品のイメージとなっています。当時の様子をいまも残すこの界隈の風景は、まさしく少年・藤子不二雄が目にした情景そのものなのです。
  

小学5年生の時におとなりの氷見市から引っ越してきた藤子不二雄A先生は、桜馬場に住んでいました。先生の住居あと地は、現在のデリカビルになります。引っ越ししてまもなく、現在の朝日町山崎地区に疎開することとなるのですが、その時期の経験が、のちの「少年時代」執筆につながっていくのです。

 

藤本弘少年(のちのF先生)が5年生だった昭和19年、氷見市から安孫子素雄(のちのA先生)が転校してきます。安孫子少年の何気なく描いた漫画を見て、「おまえ、まんがうまいのう」と声をかけたのが、藤本少年。昭和26年に二人はコンビを組むのですが、この出会いが、まんが家「藤子不二雄」を生んだのです。

   
 

昭和27年3月、藤子不二雄A先生は高岡高校、藤子・F・不二雄先生は高岡工芸高校電気科をそれぞれ卒業されました。当時、高岡高校は工芸高校のとなり、現在の高岡市美術館の場所にありました。現在、工芸高校の校内には、F先生をしのぶスペースもあり、原画やさまざまな資料が展示されています。

   
  絵筆塔は、高岡動物園の中にあります。これは平成元年に藤子両先生を含む154名の漫画家による「カッパ絵」を集めたもので、漫画を通した文化の架け橋にと高岡伝統技術である鋳物の技術を使って制作されたものです。手塚治虫先生のアトムのカッパ絵や、あの「トキワ荘」の面々の作品も見ることができます。
  藤子・F・不二雄氏作品  藤子不二雄A氏作品
 
 

 射水神社のそばにある相撲場の小高い丘のことを地元の子供たちは「ふたつ山」と呼んでいます。高校がとなりどうしだった先生たちは、授業が終わると校門で待ち合わせ、ここで将来の夢を語り合いました。ふたつ山は、藤子両先生が共に夢を育んだ、まさに「まんが道」の聖地ともいえる場所なのです。

東京ドーム2.5個分の広大な敷地にあふれる花と緑の総合公園、「高岡おとぎの森」は今まさに「ドラえもん」づくし。まずはしっかり土管のある”あの空き地”。ドラえもん・オールスター達が楽しく遊んでいます。園内には期間限定で「ドラえもんなかよしハウス」も開設。複製原の展示や、楽しいグッズが販売されています。

おとぎの森近くにあるショウワノートの社屋は、壁一面にドラえもんの巨大イラストが描かれていて、おとぎの森公園から見ることができます。このドラえもんの壁画は、ちびっ子に大人気のようです。ちなみに逆の面には、巨大な「ジャポニカ学習帳」のイラストが!実は高岡で作られてたこと、知ってましたか?

加賀藩二代藩主前田利長の菩提寺として、三代藩主利常によって建てられたお寺。禅宗に典型的な建物群で、平成9年に仏殿、報堂、山門が県内初の「国宝」に指定されました。他にも重要文化財の総門、禅堂・・・もう建物すべてが日本のお宝!藤子先生とは直接関係ないけど、ここまで来たなら、もう見ておくしかないでしょ!

高岡市の生涯学習拠点施設、通称”ウイング・ウイング高岡”3階の図書館には「ドラえもん文庫」として、たくさんの蔵書があります。小学館の学習雑誌掲載版の「ドラえもん」など、とても貴重な財産です。もちろん藤子両先生のコーナーもあり、全国の藤子ファンが一度は訪ねたい場所になっています。

▲このページの見出しへ



mail info@toyama-net.com