【藤子不二雄Aにせまる】
 藤子不二雄A、本名・安孫子素雄は私のふるさと、富山県の氷見市に生まれた。彼はかしこく陽気さと筋道だった思考回路による積極的な対話を得意とする。また、本を読んだり、映画を見たりする量が多く、知的な好奇心に燃えている若者でもあった。

自慢ではないのですが僕はそのキビシイ漫画家生活をなんとか50年やってきました。
 これには運もありますが、それとは別に「明日にのばせることを 今日するな」というモットーで生きてきたことも大きいと思います。昔、♪明日がある 明日がある 明日があるさ…という唄がはやったことがありますが、そん感じでできるだけプラス思考で明日に期待したほうが得だと思います。
(藤子不二雄atRANDAM 『Aの人生』PR文より)
 トキワ荘で人間関係の潤滑油の役割を果たしたという彼の楽観的な人柄は、この文章に如実に表れている。人々の娯楽である漫画を生み出すからには、自分の生き方も楽観的でなければならない。この生き方こそ、彼の漫画の根源となっていたに違いない。

氷見の街 散策マップ     (PDFファイル:171KB)
ブリンスに出会えるまち HIMI (PDFファイル:174KB)
藤子不二雄A先生のメッセージはこちらから
とやま映画100年「撮影現場には必ず姿」
  /北日本新聞1999年6月24日 (PDFファイル:118KB) 

 
1934年(昭和9年)3月10日 富山県氷見市生まれ
1945年(昭和20年)9月 高岡市に移住して、高岡市立定塚小学校5年2組で藤子・F・不二雄氏と同級に。
1952年(昭和27年) 藤子不二雄A氏(安孫子氏)とともに二人で一人という異色な形の漫画家 藤子不二雄 が誕生する。
1954年(昭和29年) 本格的な作家生活を目指し上京、墨田区両国に下宿。
暮には手塚先生が引っ越したあとの、トキワ荘14号室に入る。
寺田ヒロオ、坂本三郎、永田竹丸、森安なおやらと第1次新漫画党を結成。
1984年
1985年(昭和59・58年)
映画化された「忍者ハットリくん+パーマン」では、映画原作の連載を安孫子氏が担当。
1988年(昭和63年) 長年続いたコンビを解消し、「藤子不二雄A」として再スタート。
1996年(平成8年)9月23日 長年コンビを続けてきた相棒。藤子・F・不二雄が逝去。
享年62歳。
1999年(平成11年)1月 「プロゴルファー猿」の続編「サル」を新連載
  数本の連載を持ち 漫画界の最ベテランとして、意欲的に執筆活動を展開中。
  趣味は、ゴルフとお酒。元々新聞社に勤めていたため文章がプロ級で、それは作中のナレーションなどでいかんなく発揮されている。
嫌いな食べ物は肉で菜食主義者。大の犬好き。
藤本先生と比べると社交的で、大橋巨泉など芸能人の友人も多くいる。
 
▲このページの見出しへ



2002Toyama-net.com Co.,ltd All Right Reserved.
mail info@toyama-net.com